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第9回 ローマからの手紙 上海今昔

上海今昔 その1

8月17日~19日の3日間上海へ行きました。
上海(中国)6年ぶりに楽しんできましたが、この国の
日進月歩には、本当に驚かさせられます。

いまや、上海とその近隣の人口を合わせると4000万人
そしてその1%が富裕層だといいます。40万人がそれなりの金持ち
いいマンションに住み、外国高級車を乗り回し、自分の気に入った
レストランでフランスやイタリアの高級ワインを片手に札びらを
ちらつかせている、それはまるで90年代の日本のバブルのようで
将来がちょっと不安になってくる。

中国共産党が現代に影を残す象徴みたいなものなのか?
経済は市場経済を取り入れて急速の進歩
政治は共産党のなすがまま、党高官の子供達は
苦労せず、大学をでて、親の利権を受け継ぎ
裕福である。

一方99%の人たちは、いまだに給料が2万~4万の人達が
殆どで、これだけの格差がつくのは発展途上国という事ではないようだ。

いずれにせよ、中国の将来は、世界に追いつく経済、これは
もう直ぐそこまで来ていると思う、あとは国民全体がどこまで
生活が豊かになるか、そして精神が豊かになれるか、
近い将来、良くも悪くも大きな問題点になりそうだ。

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上海今昔


上海今昔 その2

写真の彼は(ステーブン ワン氏)昔この上海で仕事らしき事を
一緒にしたいわば戦友みたいな友人である。
彼は今では上海の一等地にレストランを3店舗、来春にはホテルをオープンさせると言う。
素晴らしい経営者になっていた。

そのホテルで出来たら一緒にイタリアンを開店させよう と言う
オファーだなんという話だ、もう7~8年も逢ってなかったのに、
少し感激を覚えた 同時にビックリもしたが、嬉しい話ではないか
こんな俺でも声がかかる

この日はそんな話も、昔の話もシャンパングラス片手に楽しい時間
が過ぎていくのが、心地よかった

夜も更けてきて彼のリムジンでホテルまで送ってもらい、次の日は
彼は仕事なので彼のリムジンがわざわざホテルから空港まで
送迎してくれた

中国人は古い友を大切にする、年寄りを尊敬すると言う
言い伝えが あるが、本当だなと思った。

又彼が別れ際に話を前に進めるために又近々逢いましょう
との事もしかしたら、この続きを掲載できるかも?

この国、中国は国力(面積、人口)が世界一になるのは
そんなに遠くない話である、

人々が豊かになったときにアジアのリーダー、いや世界の
リーダーになれるかもしれない、ただ色々な問題点を
残している事だけは確かだ

また、この国にこられる事を期待して 再見”


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旧友との再会

2010.03.08  投稿者  | PermaLink

第8回 ローマからの手紙

スカラ座ソリスト シルベストロとの再会

3月の始めに一人のイタリア人が訪ねてきた
私の顔を見るなり
”オー チャオ ヒロシ”マ クワンテアンニノンベード
良く見たら27年前に知り合ったスカラ座のバリトン歌手
シルベストロ、サンマルターニだった。
最後に会ったのが6年前である
10年前はスカラ座のソリストまで登りつめた男である
私は嬉しくて思わず抱きついてしまった。

私のことを忘れずにスカラ座の私のもっとも仲のよい
ナンドー氏に聞いてきたと言う。
それも私に会いたくて 涙が出そうになった。

東京に来たのは関東で5ヶ所のリサイタルが
ある為だと言う、それでも彼は3月に何日かフリーの
日があるから、ローマでコンサートをやろうか

嬉しくなって3月22日早速ディナーショーを実行した

久しぶりのバリトンの素晴らしい声
堪能致しました。

彼は3月27日ミラノに帰りました
帰る前にTELがあり、

ありがとう、楽しかったよそして9月に又来るから
9月はスカラ座のメンバーでローマでコンサートを
やるよ、といってくれた。

古い友が尋ねてくれる、すごく嬉しかった
友達は大切でかけがいのない自身の財産だ。

改めて身に沁みて感じました

代官山の狸でした

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オペラ歌手との再会


2010.03.08  投稿者  | PermaLink

第7回 ローマからの手紙

早稲田大学院 入学  桑田真澄 おめでとう !!


高校卒業のとき早稲田か巨人軍か、色々悩んでプロ野球を選択、

この問題は世間を騒がせたが、桑田氏自身の問題ではなく
大人の作った問題で、彼は言うなれば被害者だ。

23年間この問題には口を閉ざして、プロの世界で活躍してきたのだ。

それも、プロの中で自分自身に目標を掲げて
200勝とメジャーリーグでの活躍という目標を
巨人軍での後半の故障とメジャーでの故障で
夢なかばで引退を余儀なくされた。

よく頑張ったと、感動をありがとうと感謝したい、一野球ファンとして

それが今度は早稲田大学院を受験して合格してしまった。
なんという男だ、

でも彼と今日まで知り合えた中で、その事はいつも表現
していたのだ。

この男はどの道に進んでも必ず将来の目標を立てる事の出来る男である。

そのために今何を成すべきかの術を生まれもって知っているのだ。

おそらく大学院に入ったという事は、23年間世話になった
野球界に恩返しをしたい、子供達の育成に携わりたい

もっと大きく言えば将来は自分が日本プロ野球界を
背負って行くという壮大な考えまであるように思える。

勝手な思いで桑田氏には断らず書いてしまいました

桑田さんごめんなさい。

でも、あなたなら出来るような気がします。
がんばってください。

代官山の古狸でした。

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早稲田大学院合格後

2010.03.08  投稿者  | PermaLink

第6回 ローマからの手紙

脅威のトマト登場!!

まずこの文章の前に前回イタリア旅行でロストしていた
荷物が25日に戻ってきて”ホット”しました。
よかったです。


私の大恩ある方で石原さんという方がいるのですが
私にとっては自分の人生の中で最も尊敬でき、
お世話になった方です。

しかし、石原さんはとても変わった方です。何が変わった
方かというと、もう70歳前後になりますが、やる事は
今の若い人にも真似の出来ない事をします。

いまだに富士スピードウエーでポルシェカップのレースに
出場しています。(でももうやめて欲しい!命あってのものだから)

不動産や土地売買で利益を得てるし、この不景気で
倒産した企業を買い、再生させるビジネスにも着手を
考えている。

ビジネスセンスが桁外れにすばらしのだと思う。

そんな石原さんが3年前に宮崎マンゴーを食べて
これなら私にも作れるといって、作ってしまった。
これが本当に美味しかった。

そして昨年6月ぐらいに私のところに来て、今度はトマトだ。
そう言って、国内の美味しいトマトをサンプルで買い集めて
欲しいとの事、全国から美味しいと言われるトマトを
買い集め、静岡県函南の石原ファームへ送った。

それから6ヶ月 出来た!!
大きさは大小あるが、赤く実り そして実に美味い、本当に
美味い。

石原さんいわく、”今泉さんこれは農業ではなく工業だよ”
さすが工学博士、でもなんのこっちゃ

農業の視点から工業の視点に転換して考える事らしいが
良くわからない、でもこんな素晴らしいものが出来ちゃうんだ。

土栽培でもなく、水耕栽培でもないと言う。
これ以上は企業秘密であると思うので、これでやめとく

でもこれからの農業のあり方に大きな変革をもたらす
ことだと思う。

日本の農業に光を大きく変えて日本にしかない、良い
物を作って欲しいと願う

この国の自給率を工業の手を借りてなんとしてでも
70%台まで、回復させることが出来たら
全ての意味でこの国は豊かになると思う
安心安全の食生活と人の心が

その為にも”ビバ石原”がんばってください。

後記 石原トマト通称(ダイアトマト)は当店で食する事ができますので、是非一度試してください

代官山の古狸


ダイアトマト 脅威の美味しさ

2010.03.08  投稿者  | PermaLink

第5回 ローマからの手紙 

その一 ローマに到着

新年明けましておめでとうございます。

今年も宜しくお願い致します。
という事で新春早々イタリアへ久しぶりに旅行を実行してきました。

1月4日アリタリア航空で一路ローマへと勇んで、でも、
成田でいきなり1時間30分遅れと知らされ、ガックリ
それでも同日の夜8時30分にローマ着、およそ3年半ぶりのイタリア
胸がわくわくしタクシーでSABATINIさんが予約をしてくれたホテルへ
ホテルのフロントでチェックインをしているところに、電話が入りフロントマンが「シー アデッソ アリバート」
SABATINIさんが心配して2度も着いたかとの問い合わせだった。
それに対してフロントマン  今着きましたよ との対応
電話を変わってもらい、三男坊のフランコさんと会話
遅かったな、

早くレストランに来て一緒に食事をしようと再会を喜んでくれてちょっと、
胸が熱くなってきたが、とりあえず荷物を部屋に運び早速リストランテSABATINIへ、

冷たいローマの夜風がどこか心地よかった。
1月初旬の夜10:00過ぎ、さすがに町は静かであった、
店に入ると次男シルベストロ、3男フランチェスコが出迎えてくれて3年半ぶりの再会、
もう82歳と78歳になるのに、この兄弟はあまり老いてない、元気だ、
何だこの元気はと感心させられた。

自分の60歳まだまだ小僧だな思い、自分を叱咤激励したくなった。
この日は深夜遅くまで食べて飲んで語り合えたのが自分にはとても嬉しかった


その二 ローマ滞在

前日SABATINI兄弟と再会を果たし、あと3日間ローマ滞在である

2日目の昼は、ローマの景気が直ぐ分かる場所 ビアコンドッティースペイン階段の直ぐ下のとうりで、有名ブランド店が並んでいる
観光客なら誰でも一度は行くという場所であるが、一月も初旬の為か暇である、いつもなら日本人がウヨウヨいる場所だが、殆ど見ない

やはり景気は世界的なもので殆どの店がディスカウトセールである。
本来なら2月にやるのにもう始めているが、客はまばらで寂しい感じがした.

夜はSABATINI でファミリーと再会、フランコの息子セラフィーノ、シルベストロの娘婿ルシアーノ、皆でテーブルを囲んで昔話をワイン片手に楽しんだ。

只、寂しい事は昔仕事が終わって毎日飲み歩いた古いコック連中が全員退職していた、ピオ、ミケーレ、ダンテ、ロレンツォ、あと2名名前が出てこないが全員63歳オーバーで、ペンショーネいわゆる年金生活を始めてしまった。

そのためか、料理の味が少しぼけているような気がした。
気のせいでで有ればいいが

翌日はランチにSABATINIへ、勿論食事をしたが、本日のテーマは長兄サルバトーレの墓参りである。

サルバトーレ、通称ジーオ 私にとっては父親みたいな存在で
15年前に肝臓癌で他界した。
15年ぶりのお墓参り、こみあげてくるものがあった。

食事を終えて、フランコとシルベストロ私の3人で郊外にある墓地へ
花を買い、お墓にささげ、写真つきのお墓に1分間合掌
フランコは私の肩に手をおき一言”ありがとう”シルベストロは無言

そのあとで、ホテルまで送ってもらい、惜別をした。

夜はホテルの近くの洒落たレストランへ、観光客は私一人
地元の金持ち風の客ばかり、一人では気まずい想いがした。

美味しいグラスワインを3杯ほど飲んで、海老の前菜と
パスタはぬいて、メインを、これがすごい、骨付の仔牛のカツレツでも普通と違う、厚さがが2センチ以上、しかもレアーである。
半分ほど食べて残してしまった。
昔から仔牛は火をとうして食べるものとSABATINIさんに
教育されていたからだ。ミディアムで中がピンク色が自分でも
ベストだと思うんだけど、時代がそれを受け入れてしまったのかな
ちょっと複雑な思いでホテルに帰る

翌日はまったくの予定なし、ローマを彼方此方訪ね歩く
トラットリアで美味しいパスタにであったり、自分の店の
デコレーションを買ったりして日中を過ごし、

夜はローマ郊外のトラットリア、シシリア何とかという店へ
そこの店のオーナーがなんと日本語がベラベラ
話を聞いたら奥さんが日本人であるとか、しかし
10年ほど別居していて、離婚調停中だとか、
そんなことはどうでもいいけど、料理はとても美味しかった。

さー明日はミラノへ移動 明後日は帰国だ。
続きは2~3日中に


シルベストロの娘婿、フランコの息子、シルベストロ、今泉、フランコ



その三 ローマからミラノ  そして帰国へ

あー今日はミラノ移動だ、11:30の飛行機のためホテルを9:30に出てローマ郊外のヒュミチーノ空港へと、

搭乗手続きをとカウンタ-へ、そのとき入り口方向からいきなり歓声が
突然300名前後の若者が乱入、いやな予感がし、それが的中してしまう。

イタリア独特のいきなりストライキだ、今回はアリタリアの貨物要員のストライキだ、
まさかこのストが私の大きな問題になろうとは考えても見なかった。
手続きをする際にバッグがストライキで運べないと言う、そんな馬鹿な事があるのかい、
体は運ぶけど荷物は運べない、どういう事だ客の身になって仕事をしろ!
と心の中で叫んでしまった。

とにかく、荷物は同じ便ではなく違う便でミラノリナーテ空港へとの約束をもらい、
一路ミラノへと1:10ほどでリナーテへ

スカラ座の古い友人ナンド氏が空港まで、出迎えてくれた。
5年半ぶりに見る、懐かしい顔だ。

ナンドにローマ空港の一件を話すと、もう一度中に行こうと
言われ、ナンドと2人で中に入り、ロスト手続きを1:30もかけて

それから2人でミラノチェントロへ(ミラノの中心で駅の周りの事)
食事をしようとトラットリアへ、そこには懐かしい顔が何人も私が来るのを待っていたのだ。
皆少し年はとったが、懐かしい、そして嬉しかった。それから2時間食事と歓談へ。

”この後はどうするヒロシ”とナンドが聞いてきたので、彼に頼んでいたホテルで一息入れたいと言うと、ホテルはスカラ座のゲストハウスを用意してあると言う、なんと言う気遣い, 彼に感謝感謝!

一時皆と離れゲストハウスへ2時間ほどくつろいで、スカラ座へと
この日は公演日で演目はDon Carlo(ドン カルロ)おそらく
9月の日本公演も同じ演目だと思うが、どうだろう?

スカラ座に入るときはさすがに躊躇した。スーツの入ったバッグがない
格好が悪い、楽屋裏から入りナンドのオフィスへと、そこへ何人かの
懐かしい人たちが顔をみせてくれた。

幕が下り次の幕まで30分近くあるので色々案内してもらった
最初は舞台裏、舞台を大急ぎで変えている時間が勝負だ
次は客席1階は300席位だと思うが定かではない、2階席以上は
全て個室、それも赤と金色の夢の世界、もっとすごいのが
幕が下りる時のウェイティングルーム、みなさんシャンパングラス
片手にドレスアップしてまるで中世の社交場、なんじゃこれは
じぶんの格好を見て恥ずかしくなる。

もっとすごいのが、幕が上がり第2幕、ナンドはこれからすごい席へと案内してくれた。

舞台から正面の2階席個室といっても15人位は入れるスペース
演者はその席を見ながら演じてるように見える、実際そうなんだと思える。
その席からは演者と客席全てが見渡せ、まるで王様気分。
ほんの一時の体験、すごかった

後で聞くとこの席は特別席でスカラ座が認めた客、国賓クラスしか入れないという。
仰天!!

夜遅くまたナンドとリナーテへバッグが到着したかの確認、
まだ着いてない、そんな明日は日本に帰るのに、怒り心頭だ
ナンドは朝一でもう一度着てみようと言う、なんと言う良い奴だ
次の日朝一で3度目のリナーテ、だが結局は発見出来ず(マンマミーヤ)なんてこったい、
ナンドの献身的な行動に深く感謝するも、アリタリアには(バファンクーロ)訳なし

なぜってミラノリナーテはローカル言わば羽田、国際線はマルペンザここは成田そんな関係だ、
急いでマルペンザへ向かい日本へと

それにしてもミラノでは忙しない思いをしたが、今回の旅路で”温故知新”を改めて知らされた。
そんないい旅でした。

1月17日現在まだバッグは発見されず、もしかしたパリの可能性がと日本のアリタリア職員が、
バッグだけが夢の続きを見ているのかな。

代官山の古狸 今泉 博

2010.03.08  投稿者  | PermaLink
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